この度、あつみ観光協会温泉支部長の若松邦彦さんにあつみ温泉の歴史についてのお話を伺いました。
あつみ温泉の起源には諸説ありツルやキジが傷を癒しているところを発見したという説もありますが、かみのやま温泉をはじめ全国の温泉に動物が傷を癒すために利用していた等の話はありますので確実性に乏しいと考えます。
西暦849年(今から1150年前)に地殻変動(地震)があり、その際に色々な場所からお湯が湧き出たという説をあつみ温泉協会としては信憑性が高いと考えています。
その後、西暦1622年(今から約400年前)に庄内藩主酒井公が庄内に入部されました。その後このあたりに湯役所(ゆやくしょ)を設けました。湯役所はおそらく湯治客から税金を徴収していたと考えられます。湯役所ができると同時に宿屋が立ち並んだという記録が残っています。なので、あつみ温泉としての歴史は約400年であるとあつみ温泉協会としては考えています。
それからしばらく経ち酒井公(二代目から)があつみ温泉に毎年二週間ぐらいづつ湯治(とうじ)に来られるようになりました。ちなみに温海荘が殿様の宿になります。殿様の宿の他にも姫様の宿、御台所の宿などと分宿になっていました。それでちょうど温海荘の前がお湯が沸き出た場所、湯役所や御殿もあったようです。御殿は当時は茶屋店(ちゃやみせ)と呼ばれ日中だけ営業していて一般には宿泊施設ではありませんでした。したがって殿様は夜間に宿泊されたと考えられます。
殿様の宿は五郎八という屋号を持っており大正時代は「温海ホテル」と呼ばれていました。さらに平成に入り純和風の「あつみホテル 温海荘」として歴史と伝統のある宿として多くのお客様にご利用されてます。温海荘の玄関には酒井家17代当主酒井忠明公の書も飾られています。
あつみ温泉朝市の歴史は今から160年ぐらい前に始まったといわれています。当時の「あば」といわれる売り子の女性(あばというのはこの辺りの方言)が道路沿いで農産物などを売っていたのが始まりだと言われています。現在の場所(朝市広場)に移ったのは平成10年です。
温海の地名の由来は、前述の西暦849年の地殻変動の際にあつみ川の川底からも温泉が湧き出て海が一時的に暖かくなった事から温海と名付けられたと言われています。
昭和64年に「温海駅」を「あつみ温泉駅」と駅名を変更した時に「温海」の字を「あつみ」とひらがな表記にしました。温海という漢字は地元の方でないと読めない、そのほうが分かりやすいという理由からです。「あつみ温泉協会」もそうですが、それ以降ひらがな表記が多くなりました。